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「ワルキューレはあきらめない」という歌。 〜『劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!』 感想 10/9

!!!ネタバレ注意!!!

『劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!』を観てない人は読まないでください

 

 

ワルキューレはあきらめない」という曲の名について思ったこと。

 

 

 

最初の結晶化、風は予告なく吹くを歌った時。

フレイアはワルキューレとしてではなくフレイアひとりで、

デルタ小隊のためにではなくハヤテのために歌った。

 

 

それで体がもたなくて、ハヤテに「怖い」と言った時。

ハヤテはワルキューレじゃなくてもフレイアと一緒にいたいと言った。

 

 

ワルキューレであること、歌うことが死を意味するなら。

ハヤテはそれを望まないし、

フレイアもハヤテと一緒に生きたいと願った。

 

 

でも、それでも、フレイアは歌うことを選んだ。

ワルキューレのみんなと一緒に、ワルキューレの一員として歌うことを選んだ。

そして同時に、ワルキューレの一員として生きることを選んだ。

 

歌うことも、生きることもあきらめない。

歌えば死に近づく。それはフレイアが一度ならず体験してよく知っている。

歌うことは死を招くこと。

歌うことと生きることは本来二律背反のはず。

 

それでも、フレイアはあきらめなかった。

歌うことは、生きることだと言い切って、歌うことも生きることも、どちらもあきらめないと歌で示した。

 

ワルキューレはあきらめない」という曲名は、フレイアがワルキューレであることの証明だ。

なぜなら、それは「フレイアはあきらめない」ということ同じだから。

同時に、美雲、カナメ、マキナ、レイナもあきらめない。

5人揃ってのワルキューレ

きっとそういう想いが込められた曲なのだろう。

 

 

 

 

エンドロールを超えて、ハヤテに肩車された少女の声は、フレイアの命を確かに受け継いでいた。

 

これがフレイアの選んだ、「生きること」なのだろうか。多分そうだと思う。

 

ハヤテと一緒に生きる。

ワルキューレの一員として美雲、カナメ、マキナ、レイナと一緒に生きる。

そのどちらも、確かに叶えたんだと思う。

 

 

きっと、「生きる」ということは、ただ同じ時間を過ごす、ということではないんだと思う。

 

風になって、目に見えなくなっても、確かにフレイアは生きている。

あの少女としてか、あるいは心の中の大切な存在としてか。

 

フレイアはあきらめなかった。

いや過去形ではなく、「あきらめない」のだ。

 

これまでもこれからもずっと、歌って、生きて、ルンに恋を咲かせているんだと思った。

 

 

 

 

 

……

…………

………………

 

 

いや……

 

 

そうはわかっても、

辛い…………

 

 

救いは、救いはないんですか?

 

 

今まで観たアニメの何よりも辛い

 

 

てっきり、ルンに花咲く恋もある の明るいリズムと、何より最後のフレイアの笑い声で、救いがあると、

例えばあの赤ん坊の不思議な力でフレイアの結晶化が治ったりすると、

そう思ったんですよ

 

祈る気持ちで底抜けに明るいエンディングを聴いていましたよ

 

なのに……………

 

あんなに、「一緒に生きたい」って言ってたじゃないか

 

なのに……………

 

ハヤテの笑顔がかえって辛い……

 

 

 

いろいろ書きたいこともありました

 

メッサー出てきたのとか、

ミラージュが自分らしい戦い方(=僕らの戦場)を見つけるとか、

いけないボーダーライン(指揮系統)を軽々と飛び越えるマックスとか、

カナメさんの黒歴史とか、

いろいろ盛りだくさんのまさに総力戦、銀河争奪歌合戦の名に恥じない素晴らしい映画だった

 

でもさ……

 

もうそんなのどうでもいいよね……

 

 

うぅ……フレイア……

 

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